お賽銭を入れるのやめても大丈夫だと思いますよ

お賽銭を入れるのをやめました。

ふと思ったんですが、お賽銭を入れたからって願い事が叶うわけじゃないですよね?
それなのにもかかわらず、神社へお参りに行ったらお賽銭を入れて拝んで・・・って普通にやってますよね。

これは私が完全にひねくれ者であるが故の考え方なのかもしれませんが、神様にお願いすることで願い事が叶うんだったら何でもお願いするんじゃないですか?
宝くじが当たりますように!とかお金持ちになりますように!とか、欲にまみれたお願いごとばかりするはず。
でも、それを人は「そんなの神様にする願い事じゃない!」とかいう体のいい言い訳を作り上げて、「そういった願いは叶わないんだよ!」とかって自己解決しちゃいます。
結局のところ、神様って自分の中にいるんですよ。「宝くじが当たりますように!」なんてそう簡単には叶わないお願い事で無理だってわかってるんです。
でもそれを現実として受け止めたくないから、言い訳を用意しておいて叶わなくて当然とかって考えちゃう。
そんな自己解釈のためだけに、お賽銭を入れるのアホらしくないですか?5円だ15円だとか。

いや、願い事が叶ったことあるよ!という人もいるかもしれません。
でも断言します。神の力じゃありません。自己暗示ですよ。つまり自分の力で成し遂げたんです。
 
以前、名言をノートにまとめるという話をしましたが、その中に「毎日、目標は口に出して言うと叶う」という言葉がありました。
目標を口にし声に出してその目標を耳にすることで、目標を強く意識し始めるんだと思います。
そうすることで、その目標のことが忘れにくくなり自然と叶えようと努力し始めるのではないでしょうか?

お参りで神様にお願いをするのも一緒です。
神様に対して誓うお願い事。心の中で普段以上に強く思うようになるのかもしれません。
そうすることで「あの時、こんなお願い事をしたな~」という意識が働くようになり、上で述べたのと同じように自然と努力するようになるんだと思います。

リストアップ法というものをご存知でしょうか?
自分が叶えたいことを紙に書き出して、毎日見るだけでその願いが叶うというものです。
毎日見ることで自分の叶えたいことを潜在意識の中に落とし込み、それに向けて自然と努力するようになった結果願いが叶うんだとか。
それとお参りって、どこか似ているんじゃないかなって思ってます。 

ということで、お参りに行った時にそこで強くお願い事を意識すること。これこそが願いを叶えるために一番大事なことであり、お賽銭の多寡は問題では無いということです。
新年になると賽銭箱の中に小切手が入っていたりするそうですが・・・ね。
噴水があるとなぜかお金を入れたくなる人達と同じなんじゃないでしょうか。